2018年10月22日

お米は助かる


いや〜、
ライス!

というわけで、
以前も米を時々もらう事を
記事にしたのだが、
今月は、親戚から2回
米を供養してもらって、
昨日ももらって、
もう今年食う分はあるな〜。
今月だけで50キロくらい
もらったんじゃないかな?
助かる〜。
ありがとうございます。

ちょっと無理したので
腰が痛い。グピ。

尊を拝む時も、ケチらず、わりと
たっぷりめに米を使うから、
非常に助かります。

下供米は坊さん達が炊いて
食べずに、すずめなど
鳥さん達のエサになります。

しかし、夏に供養してもらった
古米が美味しくなくて
梅干しを入れて炊いている
と記事にした事だが、
どうやら、古米に雑菌が
付着していたらしく、
それが、どうも炊飯器に
繁殖してしまって、
普通の米も臭くてマズくなった(笑)
炊きたては美味しいのだけど、
7時間くらい保温しておくと
雑菌が大量に繁殖して臭くなるのだね。
よく洗濯物の生乾きが、汗をかいたら
臭くなるような感じだね。
だから、炊いて食べたら、一旦
米を炊飯器から出して、次食べる時は
レンジでチンして食べている。
炊飯器自体はそんなに古くないから、
買い替えるのももったいないのだな。

しかし梅干しといえば、梅干しも
今月おばちゃんにもらって、
坊さんは、この梅干しが大好物
なのだな。

今日の昼は、超久しぶりに
ボンカレーを食った。
カレーライス!
パックが変わってるね。
posted by ケイ at 20:21| 日記

慈しみを唱えてみようか


いや〜、
寒くなってきたねえ。

冷えは万個の病に通じるから
気をつけてね。
坊さんは別に変な事書いてないよ。ぶひ。

人を思いやり、寒さに凍えては
いないか、などと慈しみを
育てるには善い季節だな〜。

根本仏教では、
日本の仏教のように
読誦するパリッタという
経があるのだけど、
その中に
慈経というのがある。

これは、スッタニパータの
第一章、八からの引用なのだけど、

一節にこうある。

目に見えるものでも、見えないものでも、遠くに住むものでも、
近くに住むものでも、すでに生まれたものでも、
これから生まれようと欲するものでも、
一切の生きとし生けるものは、幸せであれ。

これは訳文であって原文はもちろんパーリ語で
フシもついていて唄の様に唱うのだけど、
我々日本人は、日本の言葉で声に出して
そのまま訳を唱えるのも善いのではないのかな〜、
と思う。

みんなのサンガのトップページには
慈悲喜捨の瞑想を載せていて、
実践している人もいるが、
慈しみというのは、非常に強い
エネルギーを持っていて、

一切の生きとし生けるものは、幸せであれ。
と、すごく善い思いのある言葉だな、
と感じるのであるのだね。

なぜ、今頃になって(笑)
これを、みんなのサンガの唱文と
しようか、思ったのは、
近頃、みんなの為にお勤め(お経を拝む)を
している、と記事にしたところだけど、
昨日、用でお経を唱えることが
あったのだけど、不意に
自分の口から発せられているのは、
音、であると同時に、念で
あると思い、これは懇ろに
拝まないといけないと、身と
口とこころを引き締めたのだね。

これは、経文に自分の念が
バシッと乗らないと
こうゆう気持ちには一切ならない。
坊さんは、ずっとやって来て
やっとこの心境になってきた、と思う。
今までは、単にカッコだけだし、
繕い、形式上だけだと思う。
そして、拝む事に欲を散りばめると
尚のこと、慈しみが薄れる、と思う。

それから、もうひとつ、
サンガのメンバーさんと
慈しみついて、いろいろ話を
することが、最近多いからね。
偽善や形だけの、慈しみには
限界があり、こころの底からの
慈しみは、限界がない、
ということが、坊さんも
今頃になってようやく身にしみる。

これは、約2年前にトップページに
載せようか?考えていたけど、
なぜ、載せなかったかは、

既存上座部仏教とかぶるから(笑)

なので、みんなのサンガは独自だから、
勤行次第では、根本仏教には無い
般若心経などを入れている。

そして、みんなのサンガは縁覚の
集まりなので、縁のない人を
何故?しあわせを祈るの?
偽善じゃないの?
という浅い考えが、初心に
生まれないようにする為に
入れていなかったね。

しかし、坊さんは十善戒のまず
第一項目の不殺生戒を守ろうと
思い、ゴキブリ一匹、蚊一匹
殺さない、過失を除いて。
毛根は毎日殺してるから、
マジハゲは広がるけどね。
この殺さないこと、というのは、
その生命に対して、慈しみを
持っていると坊さんは感じる。

だから、プーンと蚊が来て、
壁とかに止まったりすると、
善かったな、見つかったのは
坊さんだけで、はやく、どっかに
行って、しあわせに暮らせよ、
と念を送る。

トップページの勤行に載せようか、
とも思うけど、とりあえず今すぐ
全文、見たい人は、勉強部屋の
スッタニパータの
第一蛇の章の中の、八、慈しみです。
posted by ケイ at 20:20| 日記

2018年10月21日

不思議な話


いや〜、
ヘビードリンカー/

というわけで、
歳食って来たせいか、
酒の量が減ったね。

で、よくあるのが、
しばらく飲まないでいよう、
と、思ったら、ちょうど
ビールなどをもらう事が
よくある(笑)
不思議な話だね。
自主的な特定の修行中などは、
飲まないが、単に買いに行くのが
面倒かったり、節約していたり、気まぐれで
決めたりしたときにもらうと

飲む!

もらったり、悪友の飲みの
誘いがあるのだ(笑)
坊さんは飲みの席にいたら、
今はもうおじさんなので、
必ず、

飲む!

ウーロン茶で我慢とかは、

ない。

昔、若い頃、とあるサンガで
修行していた時などは、
そうゆうサンガでもやはり
息抜きするときがあり、たまに宴会
などがあったのだけど、若い
下っ端の坊さんは運転手なので、
ぐぐっとこらえてクルマの
運転をしていたものだ。

みんなのサンガの合宿の時も

飲む!

合宿は修行だけど、
交流だからね。(と言い訳をする)

そんなに酒が好きなのかね?
と聞かれたら、

いや、酒が坊さんを愛しているのさ。

と、アホは言う。

しかし、この季節坊さんの好きな
缶の酒を買うのためらう時がある。
坊さんは酒が好きな事以上に
嫌いなことがある。情けないけど。
それは、

静電気だ。

自分の名前に静という字が入っているくせに。

この季節になると、缶の酒を
取ろうとしたら、バチンっ!
と指に来るのだ。
これは、ハッキリ言って
墓場で寝るより嫌な事だ。
静電気防止バンドをつけても
効かない。静電気に愛されている。

だから、坊さんのお母さんが
買い物に行くついでに、お金を
渡して買って来てと頼むのだが、
必ず、間違えて買ってくるから、
もう、頼まない。

まあ、集中修行をしていて、
飲まない時にもらっても飲まない。
これは、誘惑という「お試し」だからね。
というか、坊さんは飲みたくないモード
になると、全然いらなくて、
もう何時間でも瞑想できるし、
仏教の本を読んだり、24時間
仏教モードになるのだ。
寝てても夢をみない。
これは、アルコールが入ると
眠りが浅くなると言われているが、
飲んでないから眠りが深いから、
夢を見ないのだろう。
しかし、坊さんはお坊さんになる修行中は
寝ていてお経を唱えていたそうだ(笑)
そして、寝不足だったから、
朝のお勤めの時はおねんねの時間だった(笑)
正座でも寝れる!
上には上がいて、
伝法灌頂の時、待ち時間正座で寝ていたヤツいたな。
他言してはいけないけど、
伝法灌頂の時の正座はメッチャ長いからね。
後ろからどつかれていたね。
普段のお勤めの正座は一時間ちょいか。

今日は、諸用で、40分くらいの正座か。
これくらいは楽勝で、すぐに
立って五体投地をするのです。
痛くない理由は

座布団があるからね。

他の行は半跏坐だから、痛くないのです。
後夜という、まず起きて最初の座の時は、
まあ、かなり朝早いのだけど、というか、

ほぼ真夜中だけど(笑)

もう、坊さんの朝の先達さんが言う事
聞かなくて、頭は眠いが、

もう、穴があったら、入れたい、入りたい。

気分になるのである。
そして、後夜終わって、朝のお勤めだね。
おねんねだよ。
ちょっと正座で熟睡してもうて、
手に持った経がすべって、
大般若祈祷という、経本を
南京玉すだれに似た作法みたいな事を
やる儀式があるけど、
あれ状態になった事が数回あるよ。
もう行中は、

ほとんどエロいことしか考えなかったね。

エロい80パー、
眠い、20パー、
佛、0.00001パー未満
以上。
みたいな(笑)
食欲とか全然ない。
酒飲みたいとかない。

宗派にもよるけど、様々な
水行が毎日あるんじゃ。
坊さんは、滝だったけど、
これからの時期がすごくキツい。
朝のピン子ちゃんが、もうミミズのように
なるからのぅ。
今の、ぼっちゃんの珍湖より
小さいのじゃないか、というくらいに
なるよ。マジマジ。
でも、入堂して、拝んでいたら
ピン子が復活するんじゃ。

だから、こんな修行は帰り道がないと、
するものじゃないよ。
冗談で書いてるけど、マジキツいし、
全く、ひとりで行くなら、
最低、500万円くらい預金は欲しい。
300万円が修行代で、それが終わると、
仕事のあては全くないからね。
一年くらい暮らせる200万円くらい
は要るよ。

深く学びたかったら後でも先でも
善いから、大学に行ったら善いけど
700万くらい要るんじゃない?

そんなことより、Googleなんか
ドンドン進化して行ってくれてるから、
ネットでも昔だったら数十万くらい
するテキストもタダで見れるから、
独学でもわりと出来る。

ただ、本当の、法、真理となれば、
大学でも専門道場でも、教えて
くれない。

それは、まっとうなサンガで
まっとうな師に習うしかない。

坊さんが提唱するに、そうゆう人は
けっこう多いから、ちょっと話を
聞いたりして、自分の家に持ち帰って
自分で修行するこっちゃ。
それがナイトスタンドブディスト
という修行者で、欧米から派生したもの
だけど、日本で最初に提唱したのは、

坊さんなんだな。うふふ。

坊さんと、ネットなり電話なりで
接触する人は、ぶつかったり、折れたり、
時にはぺちゃんこ(笑)になったり、
するけど、確実に、こころを成長させている。

そうゆう、サンガを目指しているし。

釈迦や大師は素晴らし過ぎるけど。

舎利子のようなスーパースターもいるわな。
な?アッコちゃん(笑)

不思議な現象は、不思議でも何でもなく、
大きなな世界、大きな宇宙が
自分のこころの中にあるように
無限大の世界が自分のこころの中にあって
それが、ビンビン、感応しているんだね。
坊さんのピン子ちゃんみたいに。
悪い事も、善い事も。

はー、今日は、長くなったけど、
読んでくれて、ありがとう。

坊さんは、みんなの具体的な
欲求達成などを祈っていない。
みんなの、やすらぎと平安
を実にこころから願っている。

posted by ケイ at 20:56| 日記

2018年10月20日

後悔のないように


いや〜、
歳食った。

誕生日から一ヶ月経った〜〜〜〜〜〜〜。

だいたい、人間は
死ぬ時に後悔する人が多い。
というか、歳食って、
あれもしたかった、これもしたかった、
これをするんじゃなかった、
あれをするんじゃなかった、
などと、後悔する人がいる。

話は突然変わって、
夕飯のとき、ぼっちゃんが、老化防止って何?
とおばあちゃんに聞いていた。
年寄りになることを、防ぐ事、
と説明すると、
なんだ、廊下でかぶる帽子かと思った。
と、知っていて、冗談のフリをするのであ〜る。

老化防止と聞いて坊さんは
最近40を回って、もう30の
時とははっきりと、体力も
落ちているのがわかるし、
記憶力も落ちているし、
マジハゲも入ってきているし(笑)
老化は進んでいると、自覚出来る。
釈迦はいつも観察することで
老いをあげている、それほど、
時間というのは大事なものなのだね。
だから、坊さんは20、30の時に
やっておいて善かったと思う事が
あるけど、これからも、いつ死んでも
善いように、後悔ないように
やらないといけない事をしないと
いけないと思う。
やっていて善かったと思う事は、
これは簡単な考えでみたら、
偶然だし、仏教的にみればカルマ
なのだけど、思惑ではないけれど、
その真理がはたらいてくれて
善かったと思う。

後になって、あの時に
ああしておけば善かったのに、
と思うのは、後になって思う事で、
今、気がついても、遅いことが
多いのだね。
だから、先というのは予測不可能で、
その場、その場の快適さに溺れると、
気がついたら、いろいろな縛り付け
にあっていた、それは自分で自分を
縛っていた、ということになる。

だから、坊さんは、今やりたいことを
やろうと思うけど、たいていの
やりたい事というのは、書いたように
後になって不自由さに変わることが
多いから、不自由さに変わらない、
仏教をやろうといつも思っている。

立派な家に住みたいとか、
善いクルマに乗りたいとか、
そのような事は思わない。
また、法欲も現前とあるものが
テキストで、それが法身の説法であり、
自分に合ったものであるから、
釈迦に憧れるからといって、
忠実に仏教をやっている国のサンガ
に行こうとは思わない。

また、老いというのは、当たり前のことで
無理して、若作りして、その事だけに
一生懸命になって、他の事はせず、いざ、
死ぬ寸前になった時、自分は一体
なにをしてきたのだろう?
と思うのは嫌なのだな。

死か、本当に来るのだな、
これが真理なのだ、と思って死にたい。

いつでも、出来るだろう、というのは
甘い考えで、善行為は、いつやるか?

今でしょ!

なのであ〜る。

悟りというのは、大変むずかしい、
すごく大きな壁があり、成し得がたい
ものだけど、少しずつでも前に進まないと
堕ちて行くだけなのであ〜る。
今、善行為をしたほうが、善いというけど、
今すぐ悟れ、というわけじゃない、
今すぐ、悟りに近づく道を一歩でも
進んだら善いというのであ〜る。
でないと、坊さんは後悔する。
後悔したくないから、仏教をする。
posted by ケイ at 19:47| 日記

2018年10月19日

明師たちの護り


いや〜、
先生!

というわけで、
坊さんも、法を説いて
教えているわけだけども、
いきなり、教えれるように
なったわけではなく、
って当たり前か、
いろいろな師について
習ってきたわけだけど、
善い先生に巡り合ってきた。
まあ、教師の免許はあんまし
関係ないね。

まあ、釈迦と比べるは、畏れ多いけど、
釈迦も何人かの師について習ったけど、
悟れず、結局、自分で悟った。

まあ、話はずれたけど、坊さんは
狂っているが、それ以上に、
みんなの想像を超える、先生などに習ってきた。

坊さんは、
なにかの募集を見て習いに行ったわけではなく、
縁があって出会ったわけだけど、
仏教の善い先生は、みな縁を大事にするので、
宣伝や、生徒募集はしないし、
世に出たがらない。
だから、生徒、弟子は、少ないし、みなビンボーです(笑)

経験上、あまり坊さんが好まなかった師は、お金にうるさく、
地位や名誉を欲しがる。

まあ、そうゆう明師のもとを巣立って、
大きいところに入って、自分も教える側になったのだけど、
一時期は、明師たちに申し訳なく思ったり、
まだ留まって学びたかったと、後悔したこともあった。
しかし、これはカルマだから
仕方なく、坊さんに習って善かった、
と言ってくれる人も居るので、坊さんは救われる思いと、
まだまだ頑張らないといけない気持ちになる。

坊さんが、お金にこだわらなかったり、また宣伝もせず、
不特定多数を入れたがらないのは、
そうゆう先師達の考えが入っているからなのだね。

でも、みんなのサンガって、
みんな来い、って、どないやねん、って感じだけど、
はじめは軽い気持ちで仏教を学びたい人は誰でもどうぞ、
だったけど、今はこんな時代、縁のある人は、どこからでも来るので、
縁覚の不思議さを感じる。
縁のない大多数の人に説いても、
大雑把になるし、テキトーで雑になるから、
気をつけないといけないと実感するね。

まあ、だけどその心配は、無用で、坊さんは一人の人間だから、
縁をしてきた人、これから縁をする因にも限界があるから、
人集めをしない限りは、マイペースでやれる。

大きな宗教の教祖などは、末端の信者など、
屁とも思わずに、規模の拡大と自分への崇拝ばかり考える。
大きなサンガに限らず、これから大きくしようとする宗団も含まれる。

坊さんは、明師と出会ったけど、
悟っている人は誰一人もおらず、
だからして、サンガが大きくなることもなく、
また謙虚なスタンスで、
自分が悟ったまでのことを教えている。

今、目の前に居る師が(ネット上でも)
正しいと思えば着いて行けば善いし、
やましいと思えば去れば善いんだよ、
とりあえず、師も居なくて、さまよって
居たら、半年くらい坊さんのブログを
見てみたら?
退屈しのぎくらいにはなるよ(笑)
笑えるけど、冗談ではないよ。
こころの奥底から求めていたことを、
坊さんのこころの奥底から
汲み取って、
自分の喜びに換える人もいるのだから。

慈悲喜捨という、四つの
無限大のこころが
どれだけ素晴らしいか。
それを汲み取れるかは、
坊さんじゃないのね。
ご自分だから。

迷ったら、ひとりで居たら善いと思う。
師がたくさん居て迷ったら、
搾取される人を削減したら善い
(自分の中から)
と、思う。

たったひとりはツラいぞ。
しかし、あれやこれや指図されたり
対、相手から言われるのもツラい。

どうすれば、善いか分からないよね?
じゃあ、善い師に着けば善いんだよ。
それは、カルマだけど、
カルマという言葉を覚えて
身にしみたら、運命とか宿命とか
というくだらん言葉は消えるのだね。

だから、君に現前する
テキストと言えば
なにか自分で考えたら善いよ。

じゃあ、さようなら。
毎日さようなら。
毎日おはよう。
毎日おやすみ。

基本的に人間として
優しい、指導者が君にも
いたら善いね。

じゃあ、おやすみなさい。

また、明日。

posted by ケイ at 21:17| 日記